私たち、大阪市高速電気軌道株式会社(Osaka Metro)で働く者で組織している大阪交通労働組合(大交)の歴史は古く、大正時代にさかのぼります。
労働運動が禁じられていた当時、路面電車で働く仲間たちが、「1日8時間労働」を要求し「人間らしい生活」をかかげて、一大運動を展開しました。この運動は交通運輸産業に働く仲間との連帯した運動の輪に広がり、ストライキ等、命がけの労働運動へと発展しました。戦時中は一旦解散にまで追い込まれながらも、戦後いち早く再結成し、その火種をともし続けてきました。戦後の労働運動は、社会復興と賃上げや労働条件改善運動が同一線上にありました。
日本の経済成長が遂げられると、公共交通からマイカー等への個別移動手段の利用が劇的に増え、公共交通を取り巻く環境は悪化の一途をたどりました。Osaka Metroの前身である大阪市交通局を取り巻く状況も例外ではなく、2度にわたる財政再建団体指定などを経験し、コスト削減をする中でサービスの維持と企業存続に向けた取り組みが1940年来連綿と続けられました。やがて市民から親しまれていた路面電車やバスの車掌さんも姿を消し、バス路線の見直しなどが進められていきました。一方、地下鉄事業については路線網が拡大され、市営交通の根幹としての重要な役割を担うようになり、近年では大交組合員の協力による効率化などによって経営が好転し、累積赤字を解消するに至りました。しかし、大阪市財政全般の悪化や人口減少社会の到来により、さらに発展していく可能性を持った事業形態の確立が必要な状況となりました。
2017年3月、大阪市会においてこれまで大阪市交通局が担ってきた市営交通事業の内、地下鉄事業はOsaka Metroへと引継がれ、バス事業は大阪シティバス株式会社へと事業譲渡されることが決定しました。私たち大交はこの環境の変化に対応すべく事業毎に労働組合を組織することとし、2018年4月1日、市営交通事業の民営化に合わせ、大交はOsaka Metroに働く仲間で構成する組織へと移行しました。
大交はこれまで培ってきた歴史や理念を継承しながら、労働者の社会的・経済的、政治的地位の向上だけではなく、公共交通を担うプロとして全ての人々の社会的権利としての公共交通の発展に向け運動を進めています。
私たちはこれからも仕事に誇りと希望を持ちながら、皆さまとともに歩んでまいります。